家出計画はあっさりやめることに・・・起業物語その2

こんにちは、
原田さゆりです。

中学生になったら家を出たい!
自分で生活する!
と、真剣に思っていました。

前回の「起業物語その1」はこちらより。

ついに中学生になった私は、、、、

残念… ><
13歳の子供です、
仕事はさすがにありませんでした。

この頃から、
起業という言葉は知りませんでしたが
自分で仕事をすると
マジめに思っていたようです。

好きでないことをやり続けることで
さらに嫌になっていく
そのことが嫌で嫌でたまりませんでした。
(その後、会社勤めをするわけですが、
入社してみて嫌な会社は辞めを繰り返し、
転職を何度も繰り返した私です(苦笑)

今思えば、それ以上に、
母のことが嫌になっていくのが
嫌だったのかもしれません。

だから家を出て働く・・・

叶わないまま、高校生になって、
ようやくバイトをはじめます。

”人生で初、自分で稼ぐ”
ことを経験しました。

最初にお金を受け取ったのは、
キャラクターグッズや文具のお店、
ファンシーショップでした。

どうやって見つけたのか
覚えてないのですが、

面接のときのことはよく
覚えています。

突然着物を着た男性が目の前に現れ、

えっ?着物?
見た目、怖い^^;;
あれ?ヤバい?
どこかに連れて行かれる…?

それほど、怖かったです(笑)

ですが、話をしたらいい人で^^
即、採用です~。

人を見た目で判断してはいけませぬ
この時に、学びました!(笑)

そして、わかったことは、
バイト先の文具やの社長は、
着物やの社長でもあり
お好み焼きの社長でもあり
繁盛店の社長さんでした。

当時、16歳の私は、
”この社長、よーわからんけどすごい!”
直感的に、思いました。

次の日から、学校が終わったら、
友達は、部活へ
私は、バイトへ。

勉強より部活よりも、バイト!
バイトに明け暮れる毎日へ突入です^^

そして、はじめて、自分で稼いだお金を
受け取ったときの感動を
今でも覚えています。

同時に、時間給計算で受け取った
手元にある1ケ月分のお金を見たときに、

そこから、家を出る計画は
すぅ~と消えていきました。

母に対する気持ちが
変わっていったのです。

母が生活費の中から工面して
私の将来のことを思ってのことだったんだと
母に対する思いが
感謝することへと変わっていきました。

そう気づかせてくれたのも、
バイト先の社長でした。
社長には、本当に感謝しています。

”さゆりちゃんは、字が綺麗だから徳だね~”
”いつもあいさつがよいよね~”などと
言われたことにもありました。

母の、おかげです。

私が、初バイト料を受け取ったその日は、
母と父に、お寿司だったか
買って帰りました^^

あとで、聞いたのですが、
母は、バイトをしている私のことが
学校にバレないか、
ひやひやしていたようです^^;;

家出計画はなくなりましたが、
バイトは、やめませんでした。

やめるどころか
楽しくて^^

バイト先は、
キャラクターグッズなどの
ファンシーショップの文具店。

キキララやキティーちゃんなどの
キャラクターグッズは、
期間限定の旬のグッズも多いんですね。

夏だと風鈴、うちわなど、
冬は、クリスマスグッズなど、

陳列次第で売れ行きは
変わっていきます。

”どうやったら、お客様が楽しんでくれるのか?”
”どうやったら、喜ばれながら売れていくのか?”

企画創造していくことが
楽しくてありませんでした♪

その創った企画は
すぐに、お客様の反応でわかるし
また、数字に反映される。

これが、めちゃくちゃ
面白くてたまらなかった。

さらに、
見た目、怖~い、いい人社長が

16歳の私に、
毎月の売上管理や
仕入れや価格の交渉まで
任せてくれました。

自分のお店かのように
関わっていたのです。

今、私が、売上アップやセールスを
セミナーやコンサルティングで
教えているのは、
ここからつながっているようです^^

それで、この社長のすごいのが、
売上が目標達成していない月も
一切、叱らないんです。

ただ、信じて見守って
くれていたんですね。

反対に、結果が出れば
赤い袋の大入り袋(最近は、聞かなくなったな~)を
出してくれていました。

勉強よりも、バイト!
バイトと、「社長」という人と仕事に
興味をもつ、そんな
高校時代を過ごしていきます。

そんな社長のもとで、
自然と、同業者で一番繁盛していた
他店にも興味をもち
バイトへ行き始めます。

それが、、、、、

長くなったので、また続きは明日へ。

読んでくださって、
ありがとうございます。

原田さゆり

 

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